市内〜生麦〜鶴見総持寺〜二ツ池〜三ツ池〜市内

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≪マップ≫
 今週は寒いので遠出を中止した。先週メンテナンスした調子を調べる目的でも兼ねて、幼少の時に住んでいた生麦と鶴見の周辺を思い出を辿りながら散策してみることにした。
 いつもの第一京浜(国道15号線)をいって、横浜港への引き込み線(昔は首都圏で最後までD51が走っていた)のガードを潜ると右に生麦事件の碑がある。次の信号で左折して商店街に入って、よく利用していた京急の生麦駅前の踏切を渡り、JRの踏切を渡る。この踏切の横浜よりで昔、貨物列車が脱線したところに満員電車の横須賀線(昔は東海道線を走っていた)の上りに衝突して、そこに下りの電車が来て大惨事になった事故現場 である。
 T字路の左に行くとお祭りでよく来た杉山神社があり、長い階段を上ると意外と広い境内だが、昔は木々がって鬱蒼としていたように思うが、住宅が迫り境内は幼稚園の広場になっていた。
右にいくと商店街の中に子供の遊び場であった安養寺がある。昔は、もっと木があり薄気味悪さも少しあったように思うが、今は広々してお地蔵さんだけが昔の面影を残していた。
 線路沿いの道を行くと花月園競輪があり、まだ朝なので閑散として職員の方が準備していたが、ひとりで梯子に上っていた危なそうである。鶴見線のガード沿いになると、昔、開かずの踏切があるが、今はそれほどでないようである。昔、貨物列車が来ると編成が長くゆっくり走るので、ほとんど開かなかったように思う。しかし、線路は12本+鶴見線2本(高架)+京急2本(少し離れて)とやはり本数は多い。
 その踏切の反対側が総持寺の参道がある。入口はあまり広くないが、本山だけあって境内はかなり広く大きなお寺である。總持寺の正式名は、「諸嶽山總持寺」といいます。石川県にあった諸嶽寺を、1321(元亨元)年、太祖瑩山禅師が諸嶽山總持寺と改められたのが始まりです。明治時代の焼失を機に横浜市に移転しました。交通の便もよく、開かれた禅苑として国際的な禅の根本道場として偉容を誇っている。暫く、広い境内を散策するが、本山 だけに建物の大きさと修行場としての建物の多さに改めて驚く。
第一京浜(国道15号線) 生麦事件の碑 左折して生麦駅 ガードとJRの踏切
第一京浜(国道15号線)
東京方面のいつものコース
引込み線のガードを潜ると
生麦事件の碑が右側にある
次の信号で左折して生麦駅
京急の踏切
京急の踏切の先に引込み線
のガードとJRの踏切
JR(東海道線) JRの踏切 よく来た杉山神社 今は幼稚園の広場
JR(東海道線)この先で
昔の鶴見事故のあった現場
JRの踏切は東海道線と
京浜東北と横須賀線
お祭りでよく来た杉山神社
の長い石段
神社の境内は意外と広く
今は幼稚園の広場
安養寺の山門 昔よく遊んだ境内 昔からあったお地蔵さん 花月園競輪場
安養寺の山門 安養寺の本堂と
昔よく遊んだ境内
昔からあったお地蔵さん まだ誰一人いない
花月園競輪場
梯子が危なくないの? JR+貨物線12本 常夜灯と電話ボックス < 総持寺本山の参道
準備中の花月園競輪場
でも梯子が危なくないの?
高架の鶴見線が2本で下には
JR+貨物線12本さらに京急2本
総持寺前にある常夜灯と
電話ボックス
総持寺本山の参道
奥の規模が大きい
三松閣の門 三松閣の門 地図もデカイ 山門でなく近代的な三門
参道から三松閣の門を通る 本山だけに三松閣の門
も大きい
総持寺の地図
(地図もデカイ)
山門でなく近代的な三門
であるがこれも大きい
遠くに向唐門 三松閣と三門 向唐門を抜け中雀門へ 紫雲台
中に入ると広々している
遠くに向唐門
三松閣と三門 向唐門を抜け中雀門へ これは紫雲台


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