旧東海道を行く(T)《日本橋〜品川》

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《旧東海道マップ 拡大はクリック》
《日本橋〜品川》
 旧東海道を探索することにしたが、どこまでいくかはまだ決めていない。まず、1回目は日本橋〜戸塚までとした。久々の輪行のため朝早く出発したが、輪行袋を忘れたのに駅で気づき取りに帰るというハプニングからスタートとなった。近くの輪行で救われたのが幸いだった。電車も日曜日なので、ほとんど人が居ない状態で神田駅まで行けた。
 神田から日本橋まではすぐであり、朝早いのでここで記念碑などをいろいろ撮りはじめた。今も昔も日本の道の基点がここにある。右側にはレプリカの元標があるが、車道の中央線に本物の元標があり車も少ないので写真に撮れました。こんな調子でいくので、このシリーズは旧東海道にこんなに残っているのかというほど遺跡が多くありますから、長編になります。したがって、コメントは今後入れていきますが、作成が追いつかないのが本音です。
 日本橋を銀座に向かって出発したが、こんなに人がいない銀座は初めてである。高架下の左側に京橋の擬宝珠を見つけることができる。西銀座の手間前に右側に「江戸歌舞伎発祥の地」と「京橋大根河岸青物市場跡」の碑がある。 銀座のシンボルの三愛ビルや時計台を通っていると、商法講習所(のちの一橋大学)の碑があったり、銀座の柳の碑があったりでなかなか進まない。銀座を抜けると新橋駅舎遺構があったが、時間が早いので、入場できず。
 ここから少しスピードアップして、15号線を進む。途中に、「江戸開城で会見した所」という丸い碑がビルの前にあった。その少し先に高輪大木戸跡があり、昔はここで治安のため夜半には締め切ったとのこと。
 ここまできたので忠臣蔵のゆかりの地である泉岳寺に寄っていくことにした。ここを出れば、すぐ品川駅でそこを素通りして八ッ山橋を渡って商店街に入ると昔の品川宿である。

旧東海道を行くのに 東海道一人旅 と 東海道53次徒歩の旅 のURLが参考になります。
早朝の神田駅 日本橋の魚市場発祥の地 今の日本橋 dsc0005.tif
早朝の神田駅に到着 神田から日本橋に移動して
まず「魚市場発祥の地」
浮世絵に対比させて
今の日本橋
道路の中央にある
「日本国道路元標」
東京市道路の元標 日本橋の由来の碑 日本橋の昔と今(クリック) 京橋の名残
街灯は「東京市道路の元標」
とあり元標のレプリカがある
日本橋を渡って移動
日本橋の由来の碑がある
休日の早朝で日本橋から
銀座まで閑散としている
昔、川があった京橋の名残
京橋の名残 江戸歌舞伎発祥の地 京橋青物市場跡 三愛ビル
こちらも京橋の名残 江戸歌舞伎発祥の地 京橋大根河岸青物市場跡
と書いてあった
銀座のシンボルとなって
いる三愛ビル
シンボルの時計台 商法講習所の開設の地 銀座の柳の碑 銀座の柳の2世
銀座の1つのシンボル
時計台
商法講習所の開設の地で
後の一橋大学となる
「銀座の柳の碑」で昔の
銀座は柳の並木道だった
銀座の柳の2世
とある
駅舎玄関遺構 駅舎玄関遺構 江戸開城で会見の地 高輪大木戸跡
銀座を抜けると左手に
新橋の駅舎玄関遺構
駅舎玄関遺構
の案内
西郷隆盛と勝海舟が
江戸開城で会見した所
高輪大木戸跡で昔、夜に
通行止めとなっていた
泉岳寺中門 泉岳寺山門 泉岳寺本堂 赤穂浪士四十七の墓
泉岳寺に立ち寄る
その中門である
立派な泉岳寺山門である 泉岳寺本堂 山門の左手に赤穂浪士
四十七の墓がある
吉良の首を洗った井戸 赤穂浪士四十七の墓 八ッ山橋の記念碑 今の八ッ山橋
吉良の首を洗った
といわれる井戸
赤穂浪士四十七の墓
が整然と並んでいる
八ッ山橋の記念碑 今の八ッ山橋で少し先
の踏切を渡ると品川宿


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