王子駅〜板橋〜練馬〜白子〜野火止〜三芳〜大井〜川越

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《旧川越街道1》
旧川越街道1

 カシミール3Dで作成した地図の使用については、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号平17総使、第320号)

 旧川越街道の探索ということで、王子駅まで始発電車で輪行して、ここから板橋の平尾追分までいくことにした。平尾追分から17号線を横切りアーケイドの商店街を抜けると、右側の路地に大山福地蔵尊があります。
 少し行くと旧川越街道は右に分岐していき、右手に豊敬稲荷神社があり、ここには旧川越街道の地図がりました。下頭橋通りの商店街を抜けて、下頭橋の手前には六地蔵菩薩があります。橋を渡って、斜め左の路地を進むと環七の交差点にでます。反対側に、長命寺がありますが、上板橋で旧街道はまた右に分岐します。
 上板橋の商店街に、子育地蔵尊や浅間神社があります。浅間神社には、「下練馬の富士塚」として保存されています。
川越街道
 川越街道は、川越往環と呼ばれ、江戸日本橋から川越まで約十一里を結び、五街道と並ぶ重要な道でした。江戸時代、川越はの北西を守る要となり、藩主には、老中格の譜代大名が配されました。又、家康以下、三代将軍も鷹狩や参詣にこの街道を往来し、松平信綱が川越城主となってからはさらに整備されるようになりました。
 街道には、上板橋、下練馬、白子、膝折、大和田、大井の六か宿が設置され、人馬の往来が盛んでしたが、各宿場の村にとって、伝馬役の負担も大きかったようである。
 「新編武蔵風土記」によると大和田町は、郡の西にあり。江戸より6里余。村内東西を貫きて、川越街道一里許係れり。この街道を西行すれば、入間郡竹間沢村に至り、東行すれば、郡内野火止宿に至れり。 と述べられ、街道沿いには、人馬にまつわる伝説や道標が残り、往時の宿場のにぎわいが、しのばれる。
(新座市教育委員会の説明から)

王子駅まで輪行 都電も坂道を上る 平尾追分 板橋宿の表示
王子駅まで輪行
いつもの始発電車
都電も坂道を上る 平尾追分で
中山道と別れる
ビルの壁に板橋宿の表示
左折する 新しい道 ワインロード 細い路地に入る
首都高の分岐に合せて
左折する
新しい道になっている この新しい通りは
ワインロード
突当りの細い路地に入る
大山駅で踏切を渡る >路地に地蔵尊 大山福地蔵尊 大山福地蔵尊の横顔
大山駅で踏切を渡る 商店街を抜けてすぐ右側の
路地に地蔵尊がある
大山福地蔵尊 大山福地蔵尊の横顔
右斜めに入る旧川越街道 豊敬稲荷神社 旧川越街道の地図 下頭橋通り商店街
右斜めに入る旧川越街道 豊敬稲荷神社 神社の脇には
旧川越街道の地図
下頭橋通り商店街を抜ける
旧川越街道を思わせる建物 六地蔵菩薩 斜め左の路地に入る 旧川越街道の標識
旧川越街道を思わせる
建物だ
下頭橋の手前の
六地蔵菩薩
下頭橋を渡り
斜め左の路地に入る
旧川越街道の標識
板橋中央陸橋に出る 長命寺 上板橋で斜め右に入る 道路の真中にケヤキ
環七との交差点の
板橋中央陸橋に出る
その交差点の反対側に
長命寺がある
暫く254号線を行き
上板橋で斜め右に入る
昔の屋敷林の名残
で道路の真中にケヤキ
子育地蔵尊 浅間神社 富士見塚 おもしろい石像
商店街の中にある
子育地蔵尊
浅間神社 境内にある下練馬の
富士見塚
富士見塚の3合目にある
おもしろい石像


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