新秋津駅〜堀兼〜小手指〜久米川〜分倍河原〜関戸〜小野路

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久米川古戦場
 裏道を標識に従って行くと北野神社に出ます。ここを右折して山口城跡交差点を過ぎてから坂を上ると多摩湖に出ます。左折してみちなりに直進していくと西武園駅になります。そこで、八国山緑地の麓を沿って進み、住宅街の奥にある公園の端に久米川古戦場の碑があります。新田軍は先制攻撃をかけて久米川の陣を攻め立てたので、鎌倉軍は敗れて府中の分倍河原に退いたと言われています。この場所からさらに奥へ行くと、将軍塚への案内があり、自転車を置いて、山道を5分ほど上ると、右側に将軍塚があります。新田軍の指揮をとったといわれています。その近くには元弘青石板塔婆所在址という立派な碑もあります。

 ここからは先を急ぐことにして、現在の府中街道に出て少しスピードアップしていく。 昔の交通の要であった八坂を通過してから、歴史の散歩道の裏道に入って、玉川上水に架かる鎌倉橋を渡る。旧鎌倉街道はここら辺はズタズタになっているようです。西国分寺駅を過ぎてから武蔵野線を横切り、左の駐車場脇から伝鎌倉古道に入って、下ると国分尼寺跡に出ます。分倍河原駅前の広場には、立派な新田義貞の銅像があるので寄って行きます。 中央高速道路の近くに行き、以前、合戦の戦死者を葬ったと言われていた三千人塚にも寄りますが、説明文では、検証したところ合戦とは関係ないと言い伝えを訂正していました。

分倍河原古戦場
 新田軍と鎌倉軍の存亡をかけた戦いとなった戦場です。分倍河原古戦場跡の碑が新田川緑道が分梅道に交差するところに建っています。分倍河原古戦場から府中街道を行き、関戸橋を渡り、交差点の右側の旧鎌倉街道に入ります。

関戸古戦場
 右側に地蔵さんがあり、その脇に小さな関戸古戦場の碑が立っています。ここは、横溝八郎や阿保入道父子らが関戸の地に留まり防衛戦を張って北条泰家は鎌倉に逃げしたと言われている。碑の裏にある庭の奥に横溝八郎の墓があります。その先の旧鎌倉街道の右側には熊野神社があり、関所跡の柵が史跡保存されています。

北野神社 坂を上ると多摩湖に出る 八国山緑地の裾野を行く 久米川古戦場の碑
裏道を行くと北野神社
に出る
山口城跡交差点から
坂を上ると多摩湖に出る
八国山緑地の裾野を
行く
住宅街の奥の公園内に
久米川古戦場の碑がある
碑の奥に将軍塚への案内 山道を上る 将軍塚がある 将軍塚の碑
久米川古戦場の碑の奥に
将軍塚への案内
ここに自転車を置いて
山道を上る
5分ほど上ると右側に
将軍塚がある
将軍塚の碑
元弘青石板塔婆所在址 府中街道を八坂を通る 鎌倉橋を渡る 歴史の散歩道の案内
その近くにあった塔婆の
元弘青石板塔婆所在址
東村山を抜けて
府中街道を八坂を通る
裏道に入り玉川上水で
鎌倉橋を渡る
歴史の散歩道の案内
伝鎌倉古道に入る 伝鎌倉古道を下る 国分尼寺跡に出る 新田義貞の銅像
左の駐車場脇から
伝鎌倉古道に入る
伝鎌倉古道を下る 国分尼寺跡に出る 分倍河原駅前の
新田義貞の銅像
三千人塚 < 分倍河原古戦場の碑 落葉で冬支度 中河原駅前を通過
合戦の戦死者の塚では
なかった三千人塚
分倍河原古戦場の碑 落葉で冬支度 中河原駅前を通過
関戸橋を渡る 右側の旧鎌倉街道に入る 関戸古戦場の碑 横溝八郎の墓
関戸橋を渡る 右側の旧鎌倉街道に入る 関戸古戦場の碑 碑の裏の庭先に
横溝八郎の墓がある
石灯篭と馬頭観音 熊野神社の中に関所跡の柵 鎌倉街道はここで左折 釜沼橋を渡る
旧鎌倉街道の左側に
石灯篭と馬頭観音
熊野神社の中に
関所跡の柵があります
鎌倉街道はここで左折
旧街道は横断して1本先
釜沼橋を渡る


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