市内〜横浜史跡を巡る〜横浜開港資料館(調査)〜市内

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横浜史跡の巡りコース-
 日米和親条約が結ばれて満百年にあたる1954年に、横浜開港百年祭が行われた。その際に横浜史跡が12箇所制定されて標柱が設置されました。現在は移設や交換されているものもありますが、現在も12箇所に存在します。しかし、資料が乏しく12箇所を特定するものがなかなか見つかりませんでしたが、「横浜史跡のしるべ」というものあることがわかりました。しかし、インターネットの画像の解像度が悪く、解析して推測できましたが、場所を特定するのに苦労しました。

 新聞に「港の碑楽」というシリーズで連載されているのが、切っ掛けでその12箇所を巡ることにした。新車のテスト走行も兼ねて手ごろな距離なのも今回の理由です。横浜史跡のしるべの半分は、旧東海道の散策の時に寄っているので、重複しています。

 近代日本をスタートさせたのが日米和親条約といえるでしょう。条約の内容はいろいろな解釈もあるでしょうが、少なくても鎖国から開港して明治維新に繋がり、文明開化していたことは確かです。その歴史の中で、横浜は漁村から360万人都市になったのも事実です。その証人として、ペリー艦隊の随行画家ハイネの石版画に出てくる「玉楠の木」がありますが、現在も横浜開港資料館の中庭にその「玉楠の木」があります。


横浜史跡のしるべ
 横浜史跡場所の案内
1日米和親条約締結の地開港広場の敷地内
2英一番館跡シルク博物館の敷地内の道路側
3神奈川運上所跡神奈川県庁の敷地内の道路側
4横浜町会所跡開港記念会館正面入口の左側
5吉田橋関門跡イセザキモール前の歩道脇
6神奈川奉行所跡県立青少年センター前
7アメリカ領事館跡本覚寺の山門脇
8フランス公使館跡甚行寺の山門脇
9イギリス領事館跡浄龍寺の門脇
10外国宣教師宿舎跡成仏寺の門脇
11神奈川台場跡綿花橋を渡り右奥
12オランダ領事館跡神奈川新町駅脇の公園前

《横浜史跡のしるべ(クリックすると拡大ます)
横浜史跡のしるべ
 
横浜史跡のしるべ
 カシミール3Dで作成した地図の使用については、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号平17総使、第320号)
開港公園の敷地 日米和親条約締結の地 シルク博物館前に「英一番館跡」 英一番館跡の標柱
開港公園の敷地内にある
日米和親条約締結の地
日米和親条約締結の地
丸い地球儀の石碑
道の反対側のシルク博物館
前に「英一番館跡」
英一番館跡の標柱
神奈川運上所跡 神奈川運上所は関税と外交事務を扱った 後に移設して横浜税関となる 開港記念会館
県庁の敷地内にある
神奈川運上所跡
神奈川運上所は
関税と外交事務を扱った
神奈川運上所は後に
移設して横浜税関となる
開港記念会館
横浜町会所跡がある 神奈川運上所跡 歩道脇に「吉田橋関門跡 吉田橋関門跡
開港記念会館入口の左側
に「横浜町会所跡」がある
県庁の敷地内にある
神奈川運上所跡
イセザキモール前の
歩道脇に「吉田橋関門跡」
吉田橋関門跡
青少年センター前に神奈川奉行所跡がある 本覚寺は開港時、アメリカ領事館に 「アメリカ領事館跡」の碑" 甚行寺は開港時、フランス公使館に
青少年センター前に
神奈川奉行所跡がある
青木橋を渡り本覚寺は
開港時、アメリカ領事館に
アメリカ領事館跡」の碑 旧東海道沿いの甚行寺は
開港時、フランス公使館に
「フランス公使館跡」の碑 浄龍寺は開港時、イギリス領事館に 「イギリス領事館跡」の碑 旧東海道沿いの小規模な松並木
フランス公使館跡」の碑 旧東海道沿いの浄龍寺は
開港時、イギリス領事館に
イギリス領事館跡」の碑 旧東海道沿いの小規模な
松並木
成仏寺の門脇にある「外国宣教師宿舎跡」 角にある旧東海道絵図 公園に長延寺跡ここに石碑 「オランダ領事館跡」の碑
成仏寺の門脇にある
外国宣教師宿舎跡
旧東海道沿いにある学校の
角にある旧東海道絵図
神奈川新町駅の近くの
公園に長延寺跡ここに石碑
公園の中ほどに
オランダ領事館跡」の碑
綿花橋の先にある「神奈川台場跡」 「神奈川台場跡」の碑 開港資料館によって資料を調査 開港資料館の中に今も「玉楠の木」
綿花橋の先にある
「神奈川台場跡」
神奈川台場跡」の碑 開港資料館によって
資料を調査
開港資料館の中に
今も「玉楠の木」がある