東十条駅〜芝川サイクリングロード〜見沼通船堀〜荒川CR〜東京駅

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本日の散策コース
 八丁橋を左折して少し先に見沼通船の役を担っていた鈴木家の住宅が保存されています。その先に見沼通船堀公園があります。その少し先に見沼代用水西縁があり、そこから西側の見沼通船堀があります。歴史の道になっており、散策できます。芝川に合流しますが、反対側にも見沼代用水東縁から東側の見沼通船堀があります。

見沼通船堀の説明文より
 見沼通船堀は、享保16年(1731年)に幕府勘定吟味役井沢弥惣兵衛為永によってつくられた我が国最古とされる閘門式運河です。通船堀は代用水縁辺の村々から江戸へ、主に年貢米を輸送することを目的として、東西の代用水路と芝川を結ぶ形で八丁堤の北側につくられたものです。東縁側が約390m、西縁側が654mありますが、代用水路と芝川との間に水位の差が3mもあったため、それぞれ関を儲け、水位調整して船を上下させました。関と関との間が閘室となり、これが閘門式運河と呼ばれる理由です。この閘門をもつことが見沼通船堀のおおきな特徴となっており、技術的にも高く評価されています。
 通船堀を通って江戸に運ばれたものは、年貢米のほか、野菜、薪炭、酒、柿渋など代用水縁辺の村々の生産物で、江戸かたは肥料、塩、魚類、醤油、荒物などが運ばれました。  通船を行うのは、田に水を使わない時期で、初め秋の彼岸から春の彼岸まででしたが、後に冬場の2ヶ月間と短くなりました。通船は明治時代にも盛んに行われましたが、陸上交通の発達などに寄ってすたれ、大正時代に終わり頃には行われなくなり、昭和6年の通船強化の期限切れと共に幕をおそしまいした。
 見沼通船堀は、江戸時代中期の土木技術や流通経済を知る上で貴重な史跡として國の史跡に指定されていま。また、通船差配(船割役)の鈴木家住宅も合わせて指定され、保存されています。

八丁橋には芝川CR 正面には水神社 保存されている住宅 見沼通船の関わる鈴木家の住宅
八丁橋には芝川CRの
終点の表示もない
正面には
水神社
八丁橋で左折して少し先に
保存されている住宅
見沼通船の関わる
鈴木家の住宅
道沿いに神社 見沼通船堀公園の入口 見沼通船堀公園の案内 日本の歴史公園百選に選ばれている
道沿いに神社 見沼通船堀公園の入口 見沼通船堀公園の案内 日本の歴史公園百選
に選ばれている
園内の竹林の中整備された渡り廊下を行く 見沼通船堀公園の石碑< 保存されている見沼通船堀 見沼通船堀の説明板
園内の竹林の中
整備された渡り廊下を行く
見沼通船堀公園の石碑 保存されている見沼通船堀 見沼通船堀の説明板
見沼通船堀に沿って歴史の道がある 西側の見沼通船堀 見沼通船堀と歴史の道 西縁二の関の標識
見沼通船堀に沿って
歴史の道がある
見沼通船堀 見沼通船堀と歴史の道 西縁二の関の標識
見沼通船堀の説明板 西縁一の関の標識 復元された西縁一の関 見沼通船堀の石碑とジャイアン号
見沼通船堀の説明板
(文章は上記に記載)
西縁一の関の標識 復元された
西縁一の関
見沼通船堀の石碑と
ジャイアン号
見沼通船堀の案内板 見沼通船堀の西縁の標識 見沼通船堀の東縁が芝川に合流する地点 八丁堤の説明板
見沼通船堀の案内板 見沼通船堀の西縁の標識
(ここで芝川に合流)
見沼通船堀の東縁が
芝川に合流する地点
八丁堤の説明板

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