神田駅〜両国〜市川渡し〜下総国分寺〜里見公園〜文学の道〜
市川駅

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 夏になって暑い日が続くので、久しぶりの輪行で神田駅まで行くことにした。駅周辺は休日の早朝ということもあり、ほとんど通勤客はいませんでした。早速、自転車を組立てて、東京周辺でまだ散策していない空白地帯があり、両国周辺を散策しながら千葉県の市川に向ってスタートする。

《今回の散策コース》
市川周辺の散策コース
 カシミール3Dで作成した地図の使用については、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号平17総使、第320号)

《両国周辺の散策コース》
両国周辺の散策コース
 カシミール3Dで作成した地図の使用については、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号平17総使、第320号)

 神田駅から少しJR線に沿って進んでから右折して岩本町にいく。広い空き地がありそこが千桜小学校跡ですが、空き地には入れません。周辺を回ると昔は小学校の裏門らしき門があり、訪問者が責任を持って開閉するように注意書きがありました。ここが北辰一刀流の千葉周作の玄武館跡の記念碑がありました。
 岩本町交差点から靖国通りを進んで、両国3交差点で右折して両国小学校の角に芥川龍之介の文学碑と不知火の錨が展示されていました。芥川龍之介が入学した小学校なので、ここに碑が出来たようである。また、日露戦争で活躍した駆逐艦「不知火」の錨で、両国の解体業者が錨を寄贈したという。
 両国小学校と道を挟んだ隣に小さな両国公園があり、ここに勝海舟生誕の地の記念碑がありました。下級武士の家に生れたが、蘭学や兵学を学んで幕府に開国後の方針を述べた意見書が認められたという。ここから江戸東京博物館や横網街公園の前を通って、隅田区役所にいく。ここには勝海舟の立派な銅像が建っている。その隣には隅田公園があり、この公園は水戸徳川邸跡なのでいろいろ散策してみました。文化人の住居跡や俳人の終焉地であるようだ。
早朝の神田駅 駅周辺の地図 ここが旧小学校の裏門? 広い空き地が旧千桜小学校
早朝の神田駅 駅周辺の地図で確認 ここが旧小学校の裏門? 広い空き地が
旧千桜小学校
右側に記念碑がある 千桜百年の碑 千葉周作の玄武館跡 右文尚武の石碑
門を入ると右側に
記念碑がある
千桜百年の碑 千葉周作の玄武館跡 右文尚武の石碑
玄武館の跡と瑤池塾の跡
「宇宙船千桜号」の歌 岩本町から京葉道路を進む 両国橋で隅田川を渡る 芥川龍之介の文学碑
「宇宙船千桜号」の歌 岩本町から京葉道路を進む 両国橋で隅田川を渡る
スカイツリーが見える
両国小学校の角に
芥川龍之介の文学碑がある
芥川龍之介はここで育った 錨」が展示されていた 錨の由来 小さな両国公園
芥川龍之介はここで
育ったのですね
その隣に場違いな
「錨」が展示されていた
錨の由来
「不知火」の解体業者が寄贈
両国小学校の隣に
小さな両国公園がある
「勝海舟生誕之地」の記念碑 江戸東京博物館 清澄通り 横網町公園の慰霊堂
両国公園の奥に
「勝海舟生誕之地」の石碑
江戸東京博物館の前を通過 清澄通り 横網町公園の慰霊堂
横網町公園の復興記念堂 隅田区役所へ上る 区役所前の銅像(浩養園跡) 勝海舟の像
横網町公園の復興記念堂 隅田区役所へ上る 区役所前の銅像
(浩養園跡)
勝海舟の像

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