市内〜武州稲毛七福神めぐり〜市内

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《武州稲毛七福神パンフレット》
武州稲毛七福神パンフレット
 観音寺で頂いた七福神パンフレットを頂く。なお、ガイドブックもありますがこちらは500円です。この後は、府中街道に出てから広福寺と安立寺に向う。

 稲毛三郎重成は枡形城の城主であったが、平時はその山の麓に住み、広福寺敷地内にその館跡があったと伝えられている。そのため、本堂内には木造稲毛重成坐像が祀られ、また観音堂の裏には重成の墓と伝えられる五輪塔が伝えられている。また、安立寺には「稲毛三郎重成の傳持せる也」という帝釈天もありました。遅くなったので枡形城は後日、散策することにします。

広福寺の裏門に出る 広福寺の本堂 広福寺の観音堂 庭にあった大黒天
広福寺の裏門に出る 広福寺の本堂 広福寺の観音堂 庭にあった大黒天
広福寺の正門 稲毛三郎の由来地 廣福寺の文化財 稲毛居館跡
広福寺の正門 稲毛三郎の由来地 廣福寺の文化財の説明 稲毛館跡の立て札
裏手には枡形城跡がある
府中街道にある案内 安立寺への参道 安立寺の境内 安立寺の本堂
府中街道にある案内 安立寺への参道 安立寺の境内 右側が安立寺の本堂
安立寺の毘沙門堂 毘沙門天の幟 帝釈天縁起 毘沙門天を参拝
正面が毘沙門堂 毘沙門天の幟 帝釈天縁起
稲毛氏由来の帝釈天と同居
毘沙門天を参拝

【2011/5/14追記】
 寄れなかった枡形山の城跡に今回、運動不足解消で行ってきました。日本民家園の手間にある生田緑地の中に枡形山があり、駐輪場に自転車を止めて、急な上り坂は徒歩で上って84mの山頂の広場を目指しました。

>  稲毛三郎重成によって築かれたと伝わり、重成は稲毛荘を支配して枡形城を本拠にして勢力を拡大した。枡形城の北を登城路として広福寺は重成の居館跡と伝わる。但し、これらは全て伝承によるものであり、確証があるわけではない。七福神めぐりの時には広福寺の門柱に、さり気なく重成の居館跡の札があった。
 稲毛氏は、元久二年(1205)の畠山重忠の乱に巻き込まれて滅ぼされて、枡形城は廃城になったと考えられる。

 現在はた枡形山の山頂は広場になっており、広場の入口には簡易的な門が2つありました。広場には枡形城跡の石碑があり、櫓をイメージする展望台広場にはあり、360度の眺望が楽しめます。

日本民家園に到着 生田緑地の案内板 その手前の生田緑地に上る 城郭雰囲気の塀
日本民家園に到着 生田緑地の案内板 その手前の生田緑地
に上る
城郭雰囲気の塀
広場の入口にある枡形門 櫓をイメージする展望台 枡形山山頂海抜84m 馬場あとも やかたあとも 秋の風
広場の入口にある
枡形門
櫓をイメージする展望台 枡形山山頂海抜84m 伊藤葦天の歌碑
枡形城跡の石碑 展望台からの眺望 展望台からの眺望 散策路への裏門
枡形城跡の石碑 展望台からの眺望 展望台からの眺望 散策路への裏門


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