市内〜横浜発祥の地を巡る(横浜市内)〜市内

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『横浜』の発祥
 1859(安政六)年に、小さな漁村があるだけの横浜が開港された。開港は、米国代表のハリスと幕府との間で結ばれた日米修好通商条約(1858年)によるもので、条約上は神奈川が開港だったようですが、神奈川宿には東海道が通っているため、攘夷感情を刺激しないように、街道からはずれた横浜村を指定して、長崎と同じように出島のようにしたと言われています。その出島の部分を横浜では、関内とわれるようになりました。
 不思議なのは各国の領事館は全て東海道沿いにあり、やはり、交通の便を考えてのことなのでしょう。その領事館の周辺となる洲崎神社の前辺りから船で渡ったようです。その横浜が開港とともに西洋文化が入ってきたので、日本初の発祥の地が多くあり、それを今回は探索してみました。

参考となるサイト:横浜の発祥地巡り

 いつも通るコース近くにも、民間病院の発祥の地や石鹸工場発祥の地などがあり、こんな所にあったかなと思いつつ探しました。探している途中で、細い溝に落ちて早速リム打ちのパンクしていましました。市内なのでノンビリパンク修理してから最出発です。中華街の中にも遺跡はありました。一旦、山下公園まで行くと横浜開港記念のドラドンボート競技をしていました。去年よりもうまくなったような気がします。公園内には、西洋理髪発祥の地の碑があり、「ザンギリ」頭の像があります。

《日本初の横浜発祥の地》
日本初の横浜発祥の地
 カシミール3Dで作成した地図の使用については、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号平17総使、第320号)

玄関左側に発祥の碑 横浜中病院の発祥の地 万世子供の遊び場に入口 石鹸工場発祥の地
市民総合医療センター
の玄関左側に発祥の碑
民間人のための病院として
横浜中病院の発祥の地
万世子供の遊び場に入口に
発祥の地の説明
石鹸工場発祥の地
当時の石鹸工場の様子 社会保険センター正面に石碑 西洋医科歯学発祥の地 卵型下水管の遺跡
当時の石鹸工場の様子 社会保険センター正面の
左脇に石碑があります
西洋医科歯学発祥の地
の石碑
中土木事務所前に
卵型下水管の遺跡がある
日本国新聞発祥之地 碑にあった海外新聞 ジョセフ彦の居館跡 ホテルサンポートの左側
関帝廊の手前にある
日本国新聞発祥之地の碑
碑にあった海外新聞 創刊者のジョセフ彦の
居館跡の地図
ホテルサンポートの左側に
日本洋裁業発祥の地
日本洋裁業発祥顕彰碑 地方合同庁舎前にヘボン博士邸跡 日本最初の和英辞書 灯台局発祥の地
日本洋裁業発祥顕彰碑 地方合同庁舎前に
ヘボン博士邸跡があります
日本最初の和英辞書
とヘボンの像
氷川丸の脇にある白灯台は
灯台局発祥の地
山下公園のバラと横浜マリンタワー 山下公園のバラと横浜マリンタワ 山下公園の噴水と横浜マリンタワー ドラゴンボート競技中
山下公園のバラと
横浜マリンタワー
山下公園のバラと
横浜マリンタワー
山下公園の噴水と
横浜マリンタワー
山下公園の沖では
ドラゴンボート競技中
ドラゴンボート競技スタート 揃って漕いでいる方が速い 「ザンギリ」が文明開化 >西洋理髪発祥の地
ドラゴンボート競技スタート 競技は大接戦だが
揃って漕いでいる方が速い
当時は「ザンギリ」が
文明開化の一翼に
西洋理髪発祥の地
(山下公園内)


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