市内〜稲付城址〜赤塚城址〜江古田古戦場〜石神井城址〜市内

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【歴史】 江古田原・沼袋合戦
 1477(文明9)年4月に、太田道灌は駿河国から急遽引き返して豊島氏を攻撃した。まず豊島泰明の平塚城を攻撃したてきたので、兄の豊島泰経は石神井城と練馬城から救援を出します。豊島泰経・泰明兄弟及び一族の板橋・赤塚氏の連合の軍勢と道灌の軍勢は、江古田原・沼袋一帯で激突しました。
 この合戦で、豊島氏の軍勢では弟の泰明と赤塚氏が戦死し大田軍に敗北します。兄の豊島泰経は逃げ延びますが、石神井城が落城し、平塚城も翌1478年1月に落城していまします。泰経は、長尾景春方の拠点である小机城(横浜市港北区)に逃れ、笠原、小机、矢島氏ともに籠城します。大田道灌は小机城を2ヶ月間をかけて攻め落として豊島氏は滅亡することとなった。長尾景春の乱は関東管領上杉氏の有力家臣長尾景春による反乱で太田道灌の活躍によって鎮圧された。
 沼袋氷川神社(中野区沼袋1-31-4)は太田道灌の陣屋が設けられた所と伝えられています。大田道灌が江古田原・沼袋合戦の戦勝を祈願した際に植樹した「道灌杉」は今は切り株だけが保存されています。また、江古田公園(松が丘2-35)に、江古田ケ原・沼袋古戦場の石碑が建っています。
 旧早稲田通りで石神井公園に行き、園内を散策して石神井城跡を見ていく。ここの隣にも氷川神社があり、太田道灌は領内に氷川神社を奉納することが多いようです。石神井公園には大きな三宝池があり、池には小振りの蓮も咲いていました。また、池の辺には湧き水があり、ここら辺は湧き水がおおいのでしょうか、帰りの道の途中にある妙正寺公園が妙正寺川の水源になっているようです。
 早稲田通りから環七通りに出て、荒玉水道に入る前に交差点近くの蚕糸の森公園に寄っていく。ここには、「蚕糸科学技術発祥の地」の碑がありました。
氷川神社の本殿 境内の力石 江古田原・沼袋古戦場 古戦場石碑
氷川神社の本殿 境内の力石/td> 江古田原・沼袋古戦場 古戦場石碑
歴史民族資料館 石神井池 石神井池 石神井公園
歴史民族資料館 石神井池 石神井池 石神井公園
石神井公園の案内 三宝寺池 三宝寺池の蓮 三宝寺池
石神井公園の案内 三宝寺池 三宝寺池の蓮 三宝寺池
三宝寺池沼沢植物群落 池沼沢植物群落の碑 石神井城跡の説明板 d石神井城跡
三宝寺池沼沢植物群落 池沼沢植物群落の碑 石神井城跡の説明板 石神井城跡
空堀と土塁 石神井城本丸跡 隣には氷川神社 豊島氏が奉納した灯篭
空堀と土塁 石神井城本丸跡 隣には氷川神社 豊島氏が奉納した灯篭
氷川神社の本殿 三宝寺池 三宝寺池の湧き水 隣には池淵史跡公園
氷川神社の本殿 三宝寺池 三宝寺池の湧き水 隣には池淵史跡公園
(遺跡がある)
妙正寺公園 公園から妙正寺川に 蚕糸の森公園 蚕糸の森公園の案内図
妙正寺公園 公園から妙正寺川に 蚕糸の森公園 蚕糸の森公園の案内図
蚕糸の森公園の入口 園内の水辺 蚕糸科学技術発祥の地 多摩川CRに出る
蚕糸の森公園の入口 園内の水辺 園内にあった
蚕糸科学技術発祥の地
荒玉水道を利用して
多摩川CRに出る

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