市内〜衣笠城址〜満昌寺〜清雲時〜佐原城址〜怒田城址〜市内

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 満昌寺から程近い所に近殿神社と薬王寺旧跡があります。住宅の合い間の細い道に入り回って行きました。

近殿神社(三浦義村公を祀る
 近殿神社は三浦大介義明の孫にあたる三浦義村公を祀っている神社である。広くない境内には、力石や八つの石宮などがありました。

薬王寺旧跡(三浦荒次郎義澄の墓)
 薬王寺は建暦2年(1212)鎌倉幕府の侍所別当であった和田義盛が父義宗の菩提を弔うために創建したと伝えられている。石塔群のうち方形岩を三重した石塔が三浦荒次郎義澄の墓と伝えられている。

薬王寺旧山門跡(駒繋ぎ岩)
 薬王寺旧跡から広い通りに出る途中の道端に石碑がありその一つに駒繋ぎ岩というのがあり、このあたりは薬王寺の山門跡だという。

 衣笠インター入口からの広い道路を横切り小高い丘の上にある清雲寺にいくが、あまり広くない境内の右側に三浦三氏の墓があるようだが、ゲートがあり見ることが出来なかった。

清雲寺(三浦三氏の墓)
 三浦義継が父為継の供養のため建立しました。三浦氏三代とは初代為通、二代為継、三代義継をいう。この地には中央の三浦為継墓と伝える五輪塔が存在したが、昭和十四年に付近にある深谷の円通寺跡やぐら群から為通、義継の墓と伝えられる五輪塔を移転し、三代の墓として祀ったものである。


近殿神社 近殿神社の由来 その下にあった力石 八つの石宮
近殿神社 近殿神社の由来 その下にあった力石 八つの石宮があったが
由来は複雑なので省略
石宮の八つの神社 浅間神社の礎石 礎石の由来 薬王寺旧跡への案内
石宮の八つの神社 浅間神社の礎石も
境内にあった
礎石の由来 薬王寺旧跡への案内
薬王寺旧跡への入口 薬王寺旧跡への通路 薬王寺旧跡の説明 変わった塀に囲まれた墓
薬王寺旧跡への入口 薬王寺旧跡への通路 薬王寺旧跡の説明 変わった塀に囲まれた
三浦荒次郎義澄の墓
三浦荒次郎義澄の墓 薬王寺旧山門跡 駒繋ぎ岩 清雲寺に行く<
三浦荒次郎義澄の墓 薬王寺旧山門跡 駒繋ぎ岩 次は清雲寺に行く
清雲寺の山門 観音菩薩像の説明 鎌倉時代の石塔? 三浦三代の墓の碑
清雲寺の山門 宋(中国産)の観音菩薩像
当時はコピー製品ではないね
鎌倉時代の石塔という
感じですね
三浦三代の墓の碑
毘沙門天像 清雲寺の本堂 伝三浦為継とその一党の廟所 三浦三代の墓
和田義盛の為に敵の矢を
受け止めたという毘沙門天像
清雲寺の本堂 伝三浦為継と
その一党の廟所
三浦三代の墓

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